こんにちは!
Good Job Magazineの大島です。
「シンガポールに来たはいいけど、さて、私は一体いつまでここにいるんだろう」
現地採用として就職した人なら誰しも必ずぶつかるこの疑問。そう、私たち現地採用組は、シンガポールにいつ来て、いつ発つかも自由。すべてが自分の決断に委ねられています。
多くの人が、来星の時期は決めていても”いつシンガポールを去るのか”、そして”シンガポールで働いた後はどうするのか”までは明確に見えていないようです。
シンガポール就職は私たちの未来にどうつながるのか。今回は私の経験をもとに、シンガポールの去り時とその後の進路についてお話ししたいと思います。

シンガポール就職は私たちの未来にどうつながるのか
シンガポールで「とりあえず3年」は絶対にありえない選択肢
私はとにかく「アジアでビジネスを新たに立ち上げたい」「海外で働いた実績を作りたい」という漠然とした憧れだけを胸に、シンガポールに降り立ちました。
「まずは行動あるのみ。2~3年働いてみて、その先はその時考えればいい!」
行動さえすれば実力は後からついてくるだろうという根拠のない信念と、まだ若いからなんとかなるという安易な考えだけでシンガポールまでやってきた私。ところが入社1ヵ月で壁にぶつかり、その考えの浅はかさにすぐ気づくことになりました。
詳しくは『先輩の失敗から学ぼう!シンガポール就職への期待と現実』に書きましたが、転職先の仕事内容が聞いていた内容と違ったことが発覚し、進路に陰りが見えてきました。
新規事業の立ち上げ(英語ではBusiness Development)やる気満々で就職したにもかかわらず、任されたのは新規開拓営業(同じく英語ではBusiness Development)。Business Developmentの意味を取り違えるという致命的ミス。
「場所はシンガポールだけど、日本語で日系企業にテレアポを繰り返す日々でいいのだろうか。これなら日本にいるのと変わらない……」私の不満と焦りは募る一方でした。
「とにかく3年は我慢しろ」と上司から諭されましたが、私にとって”とにかく3年”という新卒をなだめるためのキャッチコピーの時代はすでに終了。30歳を過ぎてからの”とにかく3年”は、選択肢としてありえなかった。
ましてや日本で築いてきた一切を捨ててやって来たシンガポールで、漫然と過ごす3年は絶対にありえない。この時初めて具体的に「いつまでこの国にいるか」と、シンガポール就職の出口を意識するようになりました。
「ただシンガポールにいるだけじゃダメだ」と気付くのに1年
不満を言っても仕方ないと割り切った私は、とりあえず目の前の仕事で成果を出そうと試みました。けど、全然うまくいきませんでした。
そんな自己嫌悪に陥っていたある日、一通のメールが。
「あなたのプロフィールに興味があります」
そう、シンガポールならではの「ヘッドハンティング」という事象が自分の身に起こりました。しかも2回も。
自信を失いかけている時の「君と一緒に働きたい」という口説き文句ほど魅力的なものはありません。しかもヘッドハンティングってカッコイイ。感情に流されるまま、その会社への転職をほぼ決断しかけました。
……。
いや、違う。ここで転職するのはなんか違う。
散々悩んだ結果、会社に残ることにすると、今度はベトナムへの異動という話が出てきました。
転職→壁ぶつかる→1回目ヘッドハンティング→ほぼ転職しかける→思いとどまる→2回目ヘッドハンティング→ベトナム異動の打診
たった1年の間にキャリアをめぐる出来事が次々と起こっていきました。
こうして試行錯誤を繰り返した結果気づいたのは、自分は目の前の仕事が夢中になれるモノでないと継続できないということ。ただシンガポールにいるだけではダメなんだという、ものすごくシンプルな事実に、1年かけて気づいたのです。